Undine

憎んだり愛したり忙しい

なんだってどうしてこういうことになったの。私はあのなーんとも思っていなかった友人のことが、さいきん、2つの出来事のせいで心に刺さったまま抜けなくなってしまっている。

参考:友人とは
http://suicide-motel.hatenablog.com/entry/2017/01/22/192938
このひと!

①昨夏

遡ること8ヶ月前、私は憧れだったあの人a.k.a.飼い主と別れた。ペットのように甘やかされ、可愛がられていたことが原因で、生活サイクルやら思考やら、積極性というか主体性までもがぐじゃぐじゃに潰されてしまったので、お別れすることになった。

ペットは餌しか食べられないもの。
野にあるものは食べられない。

最後は我ながらちょっと驚くくらいに痩せ細り、反省会と称したかの友人との新橋飲みにはアイドル顔負けの細い二の腕をしなしなと振り現れた。(自分で言うことではないわね…)

その日は別れてから1週間しか経っていなかった。
というのも、別れてから3日め、ぼろぼろになりながらSOSのメッセージを彼に伝えたら、もうその週の木曜日に会うことになったからだった。他に誰に助けを求めたらいいのか、わからなかった。

憔悴しきっていた私だったけれど、友人に叱られに来たようなもので。
だからこそ、会うまでにはもうしっかりと涙は拭いて、上むいてまたティッシュで瞳に乗っかる涙を吸ってから、新橋駅におりたつ。
彼に泣き顔なんて見られたら、バカにされるに決まってる。

でも、そんな予想は裏切られてしまった。

「怒らんよ。お前悪ないし」

はっきり言って拍子抜けした。いつになく落ち着き払った声色で言われたその言葉に、なぜか変に心がざわついて、私はよれによれた、本当によれよれの声で「優しいじゃないですか」と絞り出した。
そしてへなへなになりながら、ありがとう、と言った。

「白いし細うなったな。綺麗になったんやから、次がんばり」
「……もとから可愛いもん」
「はあ。綺麗になったとは言うたけど、お前別に言うほど美人やないで?世の中を知らなさすぎ」

そんなやりとりが、変に泣けてしまった。
人肌恋しくて、彼をベタベタと触る私の手を、彼はさっと掴んで引いて改札口に押し込む。

「じゃ、気いつけてな〜ライブでもあったらいこ」
「はーい、さよなら」

僕かて我慢してるよ、僧侶やないけど煩悩は理性で押さえ込んでる。その晩届いたLINEにはそうあった。

「むむむ、触っちゃってごめんなさい。私も淑女になるねー!」
そんなヘラヘラと返事をして、その晩は床に就いた。いつになく安らかな眠りだった。
10月にランチ、12月にライブ。年内はそんな感じ。彼は合コンも失敗続き。あーあ、かわいそうにね。


②先週の木曜

Instagramをやめて1週間ほど。キラキラ写真カードバトルから解放されて、私は快適な気分で日々を過ごしていた。
次やるとしたら、趣味が合う人のアカウント以外みたくないな。そんなことを考えていたら、彼から突然ラインが来た。

「5ヶ月ぶり。中々姿見んなぁと思ったらインスタ引退してたんか」

訊かなくてもわかることをあえて訊いてくるのが、彼なりのコミュニケーションの取り方で、優しさだ。
私も、決まりきった返事をして、彼とお酒を飲むことにした。

今回は私の失恋なんていうトピックもない。
性格を磨きたいという話。去年末に一緒に行ったライブの話やお互い好きな音楽の話。知人の結婚式の話。男をフったらブロックされた話やら、とりとめのない世間話をしながら、飲みの時間は穏やかに過ぎた。

ああ楽しいなあ、男友達いないから、この人の意見参考になるなあ、なんて思って。
帰って携帯を見るまではそうだった。

お礼がてらラインをすると、彼からこんな返信が来た。
「ま、元気で良かった。最悪死んでるかと思った、メンタル」

え、なにそれ、と思った。
今までにない違和感があった。楽しくてふわふわと浮き立っていた心が、なんらかの力を持って、突然どこかの壁に打ち付けられた気がした。

Instagramをやめたからって死んでるわけないじゃないの。むしろ健やかに過ごしているくらいなのに。
もちろん、彼氏と別れたからって死ぬ私でもない。彼氏と喧嘩したからって死ぬ私じゃない。

日々、さめざめ泣いたりしながらも、ここに日記を書いてみたり、庭園に出かけて綺麗な花を見つけてみたり、お店で美味しいお茶を飲んでみたり、ピアスを作ったりして、意外としなやかに生きている。

彼はきっと、そういう私のあっけらかんとした強かさや女のずるさみたいなところをまったく知らない。
私のことを少女扱いする彼からしたら、少女の私は真っ向から全てに傷ついていると思っているのだ。
彼は私が思う以上に私のことを、弱いと思っているみたいだった。

そう知ったらなんだか途端に、彼が無垢で、とてつもなくまっすぐで、優しい人間に思えてしまった。
今までは説教したがり上から目線のアラサーに思えていたのに、だ。

「うふふ、心配してくれてありがとうね」
「えっキモい なんやそれ!生まれ変わりすぎやろ」

生まれ変わりすぎ?なんとなく不安になって過去のやりとりを遡る。私お礼も言えない人だったっけ…?

しかしながら、過去の私はことあるごとにかまされる耳の痛い説教に、ぐちぐちと反論をしてみたり、泣き言を言ってみたり、しおらしく謝ってみたりしていた。

過去の彼は、ことあるごとに泣いてしまう私を、宥めるでもなく甘やかすでもなく、ただ話すがままに話させていた。今日はちゃんと寝ろ、とか言いながら。

日記を振り返ってみれば、もう先述のとおりだ。「彼氏の前では泣きたくないけど、あの友人の前だったら泣ける」だなんて、あんまりにもひどい女だ……なんだこれなんだこれなんだこれ。でも本当だった。彼の前なら、安心しきってしま…ああ。ひどい、あんまりにもひどい……もう、言葉が浮かばない…謝りたい……。

こんな感想を抱くくらいには、すっかりまともに生まれ変わってしまったみたいだった。
だから、見えてるものすら変わってしまった。こんな私が恩を受けるばかりの関係で、彼はいったい私のなんなのだろう。年の離れた妹とかだと思われてるのだろうか。

妹かあ。そうやってずきずきと痛む胸のうちは、彼にだけは見せずにしまっておかなければならない。

ごめんなさい

久々にライブハウスというか、音楽をなまで聴いてみたいなと思っている。

音楽やってる人ってどうしてこう、プリミティブなところに刺さってくるのかなあ。気持ちよさ。ほんまでっかTVでもそれらしきことを言っていたね昔。

そういうのいいなあ。音楽やってみたい。

昔ピアノは習ってたけど、多分もう弾けない。
弟に、アコギはじめたいんだ〜、と言ったら、良いじゃん、と笑ってくれた。
あー良い歳して、なんの許しを誰に得たかったのかな。


私にはそういうものが多すぎる。


きっと昔から、何かを楽しんでやるというのが苦手。
人前に出たら、人に知られたら最後、ああだこうだと評価されてしまう気がして苦しくなってしまう。
勝てない試合なら挑みたくないような、自意識過剰な臆病さがあった。

でももう大人なんだから。
自分のことは自分で楽しませないといけない。
そういうしがらみから自分を解き放ちたい。
本当に最近、いい意味で視線から解放されつつある。
楽しくないことは無理に学ばず、楽しいことをしたい。
あえていやらしい言い方をすれば、そろそろセルフプレジャーの仕方を覚えないといけない。生まれてこのかた、人によろこばせて頂いていた身だった。

近頃はもう、1人でいる時が1番気楽だ。
でも、2人きりで話したい時もある。
ちょっと最近、良い感じに寂しくなってきた。

今まで感じていた淋しさは、もっと暴力的だった。
お腹が空いた時と一緒。口にものを入れないと、心が落ち着かなかった。相手の都合なんかどうでもよくて、貪れれば、それで構わなかった。
相手のこと、自分と同じ人間だとは思ってなかった。
優しさもふれあいも消費財だった。
だから、補給の必要性があった。
諸々の、奇跡だったり宝石なんかを、ただの食べ物だと思っていた。

人生には取り返しのつかないことがおおくて、考えただけで息ができないほどの罪だってきっと私は犯したのだと思う。
私は私を求めた人の手を、振り払っては平気で笑っていた。醜いとか言って馬鹿にして。浅ましいとか言って嘲った。
自分が昔負った瀕死の重傷、それさえ理由にすれば、無闇矢鱈に人を刺し続けてもいいと思っていた。

思えば、ごくたまにいる親切な人は、私のことを叱っていた。
今更本当のことに気づいた。
私はそういう人を、強くて、強すぎて、弱者の気持ちや被害者感情がわからない、酷い人だと思っていた。もうとっくに私は被害者でも弱者でもなくなっていたのに、だ。
言い訳したいこともたくさんあった。謝りたいことだってたくさんある。
でも、言葉にするにはあまりに押し付けがましいから、もう誰にも言ってはいけない。許されたいけど、どこかにしまっておかなくちゃ。許されたいだなんてわがままだ。許されたいなら、はじめからしてはいけない。

今日からなら人を大切にできそうな気がする。
もう今更遅いのかなあ。

謝ろうとした。でも、何言ってんだおまえ、ってあなたは笑う。おかしなやつ。そろそろ死ぬのか。
困らせちゃった。ごめんなさいって言って、ごめんなさい。明るくしていなきゃ。

星のめぐりの話

占いは意外と信じるタイプで、指針を立てるためによく読むのですが、どうやらこれより復調の時期のようです。2017年9月はド最低という感じのようで……。でも、これが最低というのなら、最低って口ほどにもないなと思いました。思春期の時とちがって、死にたくならなかったし。

でも、きっともしかしたら私に関わった人たちのほうが悲しい思いをしたかもしれないので、そのことに対する罪悪感は数年かけて少しずつ飲みくだしてゆきたいと思います。

相手にとって悪いことをしたら謝るのがルールだと思っていましたが、もうこの歳になってしまうと謝らないことで昇華されるものもあると思っています。とうぜん、一部の例外的な話ですが。

謝る以上許されたいという我欲があるのだと思いますし、深手を負った人間を自分本位のぐずついた清算に付き合わせるのも難だと考えてしまいます。
わだかまりはわだかまりとして、悲しみは悲しみとして、怒りは怒りとして、軽蔑は軽蔑として。
混ぜ物もせず、余計な手を加えず、溶かさず結晶化させたほうが、胸の中ではずっと綺麗なような感じがします。許されたいと願わないなら、相手に見せる必要もありません。全部ぜんぶ、胸にしまっておこうと思います。大切で痛い記憶として、時々こっそりひとりで覗いてみたいです。

こんなですが真っ当にやってこられたのはひとえに周りに恵まれているんだと思います。みなさんおやさしいのが大きな救いです。来年度も何卒宜しゅう。

永遠に青にゆらぎ

10代に共感する20代のことを、10代の私は嘘つきだと思っていた。単純な人間と侮られている、なめられている、そんなに簡単に私をわかられてたまるかと思っていた。
だっていうのに20代になった私といったら、なんの進歩もなく。落ち着きもなく、分別もなく配慮もなく。大凡おとなに必要と思しきものを手にできないまま、干支をうっかり二周した。

そんなだから、迂闊に10代に共感をしてしまう。わかる、ねえわかるよと簡単に言いそうになる。気持ちの悪いおとな。だって本当に、今の私の悩みは単純で、幼稚。聡い子どもに責められてしまいそう。おとなとしてはずかしくないの?って、多分言われてしまう。

10代の私は、きっと、いたく期待をしていた。
大人からみたら、子どもの言うことなんて取るに足らない羽虫のさざめき。全知全能のおとなは、人を無用に傷つけないものだ。おとな相手はもちろん、無力なこどものことなんて、傷つけようなんて夢にも思わぬはずだ。
蓋を開けてみたら20代なんてまだ全然未熟だった。気づけば私も、あの日の過ちも許して頂戴と言って、人前で手を合わせる20代の女。

さいきん私は、簡単にわかられてしまう。そこだけなんだか大人みたい。
わかろうともしてくれなかった人々を、私は恨みもしないし憎みもしない。彼らを拒絶したのは私の勝手であるし、こちらからはわからせたいと露ほども思わなかったのだから。
ただ一言、わからないこと・許せないことを無理にわかろうと・許そうとしなくていいよと言われた時は、私の求める人間が最早崇高すぎたのだと思った。

きっともうすこしだけ、人との生活は楽しいものなのかもしれないと思った。

怨々嗟々

自分の好きな人なら自分の好きなものを100%すべて絶対に理解してくれるはずだっていう考え自体がとても子どもじみていて稚拙だと思う
そういった押し付けを努力としてカウントするだなんて呆れて声も出ない

不倶戴天

この部門においては多分どんな男性も彼を越えられないから、同じベクトルで勝負になっちゃいそうな人はもう探さないことにした。

多分、まさに夢やら恋そのものだった。痛くて痛くて、痛さを覆い隠す(誤魔化しのような)快があった。でもそんなのは全くもって、脳が見せたまぼろしで、未来や将来、結婚にはなり得なかった。
誤解を恐れずに言えば、不純物なんてなにひとつない、限りなく透明の性欲だった。

お父さんもお母さんもきっと一生しらない。化け物の形をした私は、二人寝の夜にだけ現れる。


もうそういうことは多分一生しない。

前後不覚になってタクシー、狡兎三窟・新宿三丁目日比谷公園で息が重なる、無粋な指がかなしい。乱暴、苦しくて痛い。だから、やめてやめてもっとして。
20代前半のうちにこんなにも痛くて苦しくて気持ちいい思いできてよかった。きっと10代だったら殺されていたし、30代だったら死んでいた。

幸せな思い出なんて思い出さなくていい。
ぐずぐずに泣きながらしたあれこれのことだけ時々チラと思い出して、うまく説明できない苛立ちで髪を乱していればいい。
(あなたは人の感情に無頓着な馬鹿だから知らないだろうけれど、私はそれを罪悪感と呼ぶ。)


私の隣にいるあなただけを愛していたし隣にいないならあなたは死んだほうがいい。
あなたの機嫌なんてとる気はなくて、あなたがずっと私の機嫌をとっていればよかった。
それは永遠にずっと変わらない。

もう、こんなの、おしまい。
目が醒めた。

11月の海に死にたい

愛はなけなし

愛はなけなし

きっと何人かの人には話したお話だと思うんだけれど、私は、孤独への耐性がまるでない。いや、1人でも孤独を感じないことなんてままあるし、この場合の孤独ってなんなんだろうな。さみしさ?

私にとっての孤独とは、静かなものではないし、ごく淡い水色でも白色でもない。
それは耳を劈く騒音で(聴きたい声が聞こえなくなってしまう)、黒色の粒が飛び交うテレビの砂嵐みたいなもので(探していたものを見失う)、圧倒的な質感と質量でもって私の前に立ちはだかって押さえつけてくる。そんな化け物なのだ。

化け物は、私の頭ごと大きな手でつかみ、地面に押さえつけたり、酷い時では後先考えず、勢いよく叩きつけたりする。
そうしたら私は地に這わざるを得ないし、立ち上がるには、その孤独がひとしきり暴れ、私の前を完全に立ち去るまで耐え忍ぶしかない。
すんでのところ潰れなかった頭を自分で撫でながら、「自分じゃない誰かに撫でられたかったなあ」と落涙。寂しさというのは、穏やかでも密やかでも何でもない。そんなとるにたらない、ごく淡いただの感情とは一線を画す。怒りには似ているかもしれない。さみしさとは、疑いようもなく、暴力のことであり、私自身の存在の危機だった。

寂しさは突然おとずれる。朝食まえ、温かいジャスミンティを淹れているところに。食券と財布をお盆にのせて並んでいるところに。乗客の減りつつある中央線に。独り寝の床のなかに。突然現れた彼は、私の頭を割らんとして、大きな手を振り回して遊ぶのだ。

当然、私は逃げる。つとめて落ち着かせた息を繰り返しながら。まあ、何回も出会っていれば、化け物の腕の振るいかたなんて、覚えてしまうのだ。パターン化されている。無秩序に振るわれるようでいて、そこには必ずルールがある。だから、孤独との戦いとはじっさい、体力・持久力勝負だ。孤独を倒すことなんて、できないししない。化け物がここを去るまで、私はまっすぐ立てていればそれでいい。それは、先の化け物との押し問答で傷を負ったとしても、変わらない。立てていれば、勝ちである。

しかしながら、私のさみしさを倒す方法は、明白にひとつ存在している。のろまなあいつを殺すには、挟み討ちがいちばんいい。だから私は片割れを半身を映し身をもとめる。私の指令通りうごく片割れを。こんなだから、自分の無茶な指令で、片割れを潰してしまうのだ。

片割れをずっと、探している。