Undine

憎んだり愛したり忙しい

星のめぐりの話

占いは意外と信じるタイプで、指針を立てるためによく読むのですが、どうやらこれより復調の時期のようです。2017年9月はド最低という感じのようで……。でも、これが最低というのなら、最低って口ほどにもないなと思いました。思春期の時とちがって、死にたくならなかったし。

でも、きっともしかしたら私に関わった人たちのほうが悲しい思いをしたかもしれないので、そのことに対する罪悪感は数年かけて少しずつ飲みくだしてゆきたいと思います。

相手にとって悪いことをしたら謝るのがルールだと思っていましたが、もうこの歳になってしまうと謝らないことで昇華されるものもあると思っています。とうぜん、一部の例外的な話ですが。

謝る以上許されたいという我欲があるのだと思いますし、深手を負った人間を自分本位のぐずついた清算に付き合わせるのも難だと考えてしまいます。
わだかまりはわだかまりとして、悲しみは悲しみとして、怒りは怒りとして、軽蔑は軽蔑として。
混ぜ物もせず、余計な手を加えず、溶かさず結晶化させたほうが、胸の中ではずっと綺麗なような感じがします。許されたいと願わないなら、相手に見せる必要もありません。全部ぜんぶ、胸にしまっておこうと思います。大切で痛い記憶として、時々こっそりひとりで覗いてみたいです。

こんなですが真っ当にやってこられたのはひとえに周りに恵まれているんだと思います。みなさんおやさしいのが大きな救いです。来年度も何卒宜しゅう。

永遠に青にゆらぎ

10代に共感する20代のことを、10代の私は嘘つきだと思っていた。単純な人間と侮られている、なめられている、そんなに簡単に私をわかられてたまるかと思っていた。
だっていうのに20代になった私といったら、なんの進歩もなく。落ち着きもなく、分別もなく配慮もなく。大凡おとなに必要と思しきものを手にできないまま、干支をうっかり二周した。

そんなだから、迂闊に10代に共感をしてしまう。わかる、ねえわかるよと簡単に言いそうになる。気持ちの悪いおとな。だって本当に、今の私の悩みは単純で、幼稚。聡い子どもに責められてしまいそう。おとなとしてはずかしくないの?って、多分言われてしまう。

10代の私は、きっと、いたく期待をしていた。
大人からみたら、子どもの言うことなんて取るに足らない羽虫のさざめき。全知全能のおとなは、人を無用に傷つけないものだ。おとな相手はもちろん、無力なこどものことなんて、傷つけようなんて夢にも思わぬはずだ。
蓋を開けてみたら20代なんてまだ全然未熟だった。気づけば私も、あの日の過ちも許して頂戴と言って、人前で手を合わせる20代の女。

さいきん私は、簡単にわかられてしまう。そこだけなんだか大人みたい。
わかろうともしてくれなかった人々を、私は恨みもしないし憎みもしない。彼らを拒絶したのは私の勝手であるし、こちらからはわからせたいと露ほども思わなかったのだから。
ただ一言、わからないこと・許せないことを無理にわかろうと・許そうとしなくていいよと言われた時は、私の求める人間が最早崇高すぎたのだと思った。

きっともうすこしだけ、人との生活は楽しいものなのかもしれないと思った。

怨々嗟々

自分の好きな人なら自分の好きなものを100%すべて絶対に理解してくれるはずだっていう考え自体がとても子どもじみていて稚拙だと思う
そういった押し付けを努力としてカウントするだなんて呆れて声も出ない

不倶戴天

この部門においては多分どんな男性も彼を越えられないから、同じベクトルで勝負になっちゃいそうな人はもう探さないことにした。

多分、まさに夢やら恋そのものだった。痛くて痛くて、痛さを覆い隠す(誤魔化しのような)快があった。でもそんなのは全くもって、脳が見せたまぼろしで、未来や将来、結婚にはなり得なかった。
誤解を恐れずに言えば、不純物なんてなにひとつない、限りなく透明の性欲だった。

お父さんもお母さんもきっと一生しらない。化け物の形をした私は、二人寝の夜にだけ現れる。


もうそういうことは多分一生しない。

前後不覚になってタクシー、狡兎三窟・新宿三丁目日比谷公園で息が重なる、無粋な指がかなしい。乱暴、苦しくて痛い。だから、やめてやめてもっとして。
20代前半のうちにこんなにも痛くて苦しくて気持ちいい思いできてよかった。きっと10代だったら殺されていたし、30代だったら死んでいた。

幸せな思い出なんて思い出さなくていい。
ぐずぐずに泣きながらしたあれこれのことだけ時々チラと思い出して、うまく説明できない苛立ちで髪を乱していればいい。
(あなたは人の感情に無頓着な馬鹿だから知らないだろうけれど、私はそれを罪悪感と呼ぶ。)


私の隣にいるあなただけを愛していたし隣にいないならあなたは死んだほうがいい。
あなたの機嫌なんてとる気はなくて、あなたがずっと私の機嫌をとっていればよかった。
それは永遠にずっと変わらない。

もう、こんなの、おしまい。
目が醒めた。

11月の海に死にたい

愛はなけなし

愛はなけなし

きっと何人かの人には話したお話だと思うんだけれど、私は、孤独への耐性がまるでない。いや、1人でも孤独を感じないことなんてままあるし、この場合の孤独ってなんなんだろうな。さみしさ?

私にとっての孤独とは、静かなものではないし、ごく淡い水色でも白色でもない。
それは耳を劈く騒音で(聴きたい声が聞こえなくなってしまう)、黒色の粒が飛び交うテレビの砂嵐みたいなもので(探していたものを見失う)、圧倒的な質感と質量でもって私の前に立ちはだかって押さえつけてくる。そんな化け物なのだ。

化け物は、私の頭ごと大きな手でつかみ、地面に押さえつけたり、酷い時では後先考えず、勢いよく叩きつけたりする。
そうしたら私は地に這わざるを得ないし、立ち上がるには、その孤独がひとしきり暴れ、私の前を完全に立ち去るまで耐え忍ぶしかない。
すんでのところ潰れなかった頭を自分で撫でながら、「自分じゃない誰かに撫でられたかったなあ」と落涙。寂しさというのは、穏やかでも密やかでも何でもない。そんなとるにたらない、ごく淡いただの感情とは一線を画す。怒りには似ているかもしれない。さみしさとは、疑いようもなく、暴力のことであり、私自身の存在の危機だった。

寂しさは突然おとずれる。朝食まえ、温かいジャスミンティを淹れているところに。食券と財布をお盆にのせて並んでいるところに。乗客の減りつつある中央線に。独り寝の床のなかに。突然現れた彼は、私の頭を割らんとして、大きな手を振り回して遊ぶのだ。

当然、私は逃げる。つとめて落ち着かせた息を繰り返しながら。まあ、何回も出会っていれば、化け物の腕の振るいかたなんて、覚えてしまうのだ。パターン化されている。無秩序に振るわれるようでいて、そこには必ずルールがある。だから、孤独との戦いとはじっさい、体力・持久力勝負だ。孤独を倒すことなんて、できないししない。化け物がここを去るまで、私はまっすぐ立てていればそれでいい。それは、先の化け物との押し問答で傷を負ったとしても、変わらない。立てていれば、勝ちである。

しかしながら、私のさみしさを倒す方法は、明白にひとつ存在している。のろまなあいつを殺すには、挟み討ちがいちばんいい。だから私は片割れを半身を映し身をもとめる。私の指令通りうごく片割れを。こんなだから、自分の無茶な指令で、片割れを潰してしまうのだ。

片割れをずっと、探している。

僕らはみんな日々の奴隷

『日常』の力はあまりに強い。仕事にも慣れ、職場の人達にも慣れ、私はこの仕事を、とても魅力的に感じている。

妊娠の騒動から4ヶ月、私と彼は壊れそうになりながらそばにいた。あんなことがあったから、お互い離れるということがすっぽり頭から抜け落ちてしまっていたらしいのだ。


現実に打ちのめされ、現実に迎合してゆくうち、私は日に日にやつれていった。
多忙だから、お金を払うのは彼だから、私は彼に最大限譲歩した。美味しいご飯も、素敵な音楽も、面白い本もそこにはあったからだ。でも、何かが満たされなかった。ぽっかりと心に穴が空いて、彼が朝方眠っているところから起き出して、緑色のソファに丸まった。彼の着せてくれた可愛いTシャツ、彼の汲んできてくれたお水、朝になれば全てが温まって、陽に照らされて陳腐な感じがした。

この日々は、夢みたいだと思った。どこに行っても感じるのは、「ここは私の日常ではない、私の居場所じゃない」って、そんなことばかり。
こんなの、ずっとは続かない。私の現実に、彼はどうしてもマッチしなかった。
そんな夢なら、覚めないといけない気がした。真っ白な部屋で、笑えるくらいの感傷に浸り、私は泣いた。

そういう朝が、何回もあった。

しかし泣けど叫べど、彼の部屋にいるときの私は、外にいる私よりずっと可愛かった。彼のいだく夢にならった、「可愛い彼女」であるのが仕事だったからだろうか。

また彼の部屋において、私はまちがいなくペットだった。不安定にゆらゆらゆれる私を見て、彼は何を言うでもなく、ねこちゃんを飼おう、なんて言っていた。

私が人間の悩みをもって、人間として生活しているということについては、見ないふり、聞かないふりをしていた。こんな日々、ほんとうに続くというの?そんな不安な心の叫びを押しとどめて、私は彼氏の選んだ可愛い服を着ていた。
彼はこんなに悲しい私の髪を梳いて、幸せそうにテレビを眺めていた。



あの日、彼は「もう背負いきれない」と言った。
あの日、私は「背負えなんて言ってない」と言った。


心底、彼のことを馬鹿みたいだと思った。
私は数十万で売られる証明書付きの猫ではい。彼が熱を向けてやまない、フワフワとして形のない、未完成で可愛いアイドルでもない。
職を持ち、家に住む、22歳の人間の女。質量を持った実像だ。
そんなものを背負うなんて、まちがいなく馬鹿だと思った。隣を歩くというのが、パートナーシップだと思っているのに。

同時に、気づいてしまった。彼は私のこと、人間としては好きじゃない。彼は私のこと、どこにでも連れて歩いてくれたけれど、ペットやアイドルやアクセサリーとして、大好きだったというだけなのだ。だから私の人間性やそれに伴う脆弱性、独立性みたいなものを、認められなかったんだと思う。

人間として女を愛して、その女に捨てられた哀れな男に、私は何を期待していたのだろう。私を人間としては見てくれなかった男。束縛の指輪も、例のごとく目黒川に投げ捨てればいい。



ああ、これは、来たるべき終わりだ、と感じた。
2年前の別れなんかよりも、余程すとんと胸の底に落ちた。きっと私が聞きたかったのは、彼のいう嘘みたいな「結婚したいくらい好き」じゃなく、「結婚の好きとは違うけど好き」という本音だったんだと思う。


夢のことは、覚めれば忘れる。まだ2週間、1ヶ月だって経っていないのに、私はもう彼がどんな声だったか忘れてしまった。

彼が作ったものも未だに好きだが、あの日の出来事たちが、かつて聞いたお話たちが、童話のように遠くきこえる。欠けて抜け落ちたように実感を失って行く。彼の顔も、いつか忘れる。


今度はうつつにて愛をはぐくみたい。

卵 (なんども死につづける)

遭難

遭難

ほんの一瞬ではあるが、排卵期の性行為で、避妊具をつけなかった。

一度目、彼はちゃんとゴム袋のなかに吐精した。ラバーだかシリコンだか、ラテックスだかなんだか、私はしらないが、彼の分身にぴたり寄り添うその皮が、どうも好きになれないでいた。
てかてかと光る見た目とは裏腹に、潤いをことごとく吸い取るのだ。痛い。私は、痛くて泣いて喘いでいる。
でもそれが"なんだかたまらない"から、私は種明かしをしない。無理矢理受け入れてやること…を愛だとまだ勘違いしているのか、体はそれで問題なく反応する。痛みに比例して、頭の中で白いものがぱちぱちと弾ける。

でもひとたび終われば、痛みだけを思い出す。光源を限界まで絞った部屋に、まちなかの街灯の白光が忍び込む。ほのかな・わずかなはずのその光を、鋭く反射する、私は、心持ちもの憂げにそれらを眺めているのだ。

「ほんとうに大好きだから、ゴムをつけるよ」

そう言って彼は、いつものように私に口づけをした。なんか前も聞いたなあそれ。私は彼のことがとても好きだし、多分彼のほうこそ私のことが大好きだけれど、その言葉には違和感を感じる。まるで言い聞かせてるみたい、と深読みをする。

いや、それはまあ、どうだっていい。
どちらかというと、「きみが大好きだから、きみに種をわけあたえたい」っていう結論にならない、そんな現代人といういう生き物が悲しい。だって女の私は好きな人のものがほしい。人としての私はそうもいかない。きっと彼だっておなじ、人としての優しさを理由に抑制している。
そんな理不尽な想いは柔らかに、私のなだらかな胸郭のなか絡まっていく。


もとより、その夜はおかしかった。

今日は泊まらないと言ったが、彼と私はじつに積極的に唇を求めあった。泊まらなくともやれることはできる。しかしながら私たちは普段、「泊まれない」と言ったら「致さない」ことになっているのだ。良識ある大人としての彼と、良家の娘としての私が、それ以上の行いには蓋をしていた。

キスをする、好きと言い合う、夕食の皿を片付ける。まったくもって、効率的でないやりかたで。
右手にスポンジ、左手に洗い終えた皿、腰には彼の腕が回されている。飽きた私は左手をジーンズのポケットに突っ込み、携帯を取り出す。この土日、家に両親はいない。残っている祖母と弟がすこし心配だった。

「今日は帰る?」

ぼーっと遠くに目をやって、言葉もあまり話さなくなった私に、彼は優しく声をかけた。
訥々と事情を話す。そんなことで引き留めたり不機嫌になったりするような人ではない。じゃあ今日はかえりなさい、と頭を撫でてもらってから、キスしてもらうのを待った。
でも1秒だって待てなくなって、当然のように腕を伸ばし、彼に絡まるようにしてキスをした。彼の手が私の髪を撫でた。
「じゃあ、今日はいつもよりやらしいことしようよ」と、彼は言った。

それからはもう、ご想像の通り。終電までのタイムリミットは残り2時間、全行程を良いペースで消化しながら、彼は絶頂を迎えた。満足感もありつつ、ダラダラと服を着てテレビを見る時間も持てる、優等生のセックスを楽しんだ。

でもなぜか、「それだけでは終われなかった」。その日は2人しておかしかった。
私は1度すれば満足するし、実際その日は、ほんとうに泊まりたくなかった。会社に入って初の土日に、彼氏とはいえ他人のうちのベッドで浅い眠りをいただくなんて御免だ。
彼だって淡白ではないが、年かさなのもあってか無茶なことはしない。射精のタイミングだってある程度コントロールして行為をする。

欲望に基づく行為でありながら、どこか理性的で清潔感のある、すこし格好のついた、そんな雰囲気を気に入っていた。みどり色の、かわいいソファで、読みさしの雑誌をきれいに避けながら。あるいは、床に落ちた天窓をしめるリモコンを、テーブルにそっと乗せながら。

やらしいってどういうの。
なんだかんだと底意地の悪いことをいいながら、勝手知ったる男の腹に手をそわす。人よりすこし長い舌を、今だけは便利だと思う。咀嚼にも発話にもやや邪魔なそれで、彼の心ごと搦めとれるのではないか?

いつもどおり、きもちよかったね。

耳ごとしゃぶるように甘い皮肉を言った。だから、あり得ない二度目が起きてしまった。
ロフトから持ってきたのはひとつだけ。ていうか、なんでロフトにだけゴムを置くの。ソファですることが多いんだし、ソファの下にでも一箱、置いておいてよ。もう今更、中断なんかできないでしょ。今度買っておいてあげるね。

ああもしかしたら、ねえ、がまんしてるの。


彼は、だめだって、と一瞬だけ笑って、避妊具をつけないまま私の中に押し入った。目の裏があつく、赤い。だめなくせにはげしい。あはは、へんね、おかしいわ。
(思ったより長い。)

もうやめてよ、とまともな人間としての私が目を潤ませた。なのに女としての私が舌を硬ばらせる。きっと変な顔だったろう。すこしだけ泣きながら、すこしだけ笑っていたんだと思う。

私の妙な顔を見咎めてか、ごめんね、と言って彼は一度自身を抜いて避妊具をぱちんとつけた。あとはもういつもどおり。私は電車に乗って、家に帰った。


おかしな話だが、翌日からはいつもどおりというわけにはいかなかった。
会社の近くの産婦人科を調べた。過敏かもしれない。
そこには迷いながらやっと辿り着いた。その日は雨が降っていた。会社の人から借りたビニール傘を丁寧に畳んで、ドアを開けるとたくさん女の人がいた。女の人しかいない、とうぜん。

「可能性は低いと思うが、ゼロじゃない。議論したって仕方がないですよ。その可能性がある行為をしてるんだから、ピルを飲もうがなにをしようが……する時はするし逆も言える」

先生はそう言った。議論する時間はくれなかったが、考える時間を彼はくれた。

私は、ノルレボを買わなかった。
かわりと言ってはなんだが、ごくふつうのトリキュラーを買うことにした。

結局は時期時間の問題である、いずれにせよ私は命の可能性を摘み取った。妊娠の可能性がある行為なんだから、現状妊娠したくないならセックスをしなければいいのに。
快楽に最適化された現代人らしい選択と言える。

避妊は男任せにするものじゃない、
男が女に責任を取る目的でゴムをつけるわけではない。
生まれるかもしれない未来の命に、我々ふたりが責任を持てるかどうか、なのだと気づかされる。私はまだ子どもを持つ覚悟も計画もないから、ピルを飲む。

以上が事の顛末だ。

真っ先に私に謝り、私以上に私の体を心配していた彼に、思うことを打ち明けた。
彼はそうだね、と言ったあと、ぽつんと「みーちゃんの子どもは絶対に可愛いよ」と言った。ありがとうね。

私はまだ、子どもは産めない。