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Undine

憎んだり愛したり忙しい

新年のご挨拶⛩

あけましておめでとうございます🌅

筆が乗るので、今週はもうすこしだけ日記を書きます。

インターネットの片隅にあるブログで、新年のごあいさつ。どれだけの方がこれを読んでいるのでしょう。ごく少ないことには違いないのですが、あなたとわたし2人だけだったらいいですよね。


この前、腐女子の友人と興味深い話をしました。
"わたしたち2人だけだったらいいね"
って私は恋人には心からそう思うことが多かったのですが(オタク界隈でいうとメリバ厨寄りなんですかね)、友人はそうではないと。
「社会復帰できるCPが好きなんだよね」

私は社会から逃避できるCPが好きです。
ちなみに彼女とは、「腐女子の恋愛傾向は推しCPと相関がある」という意見で一致しています。


私の恋における悩みって、社会的・外的要因が占める割合が多かったのです。結局社会と恋愛を対立するものとしか捉えられなかったんだと思います。


具体的な話で言うと、前の彼氏は見た目が気にいりませんでした。
さらには親をとんでもない理由で喪ってましたし、周りからは「もっといい人いるじゃん?」「ひずみサンならもうちょい上目指せよ笑」「絶対ヤバイから逃げたほうがいい」とまで時折言われてました。

人の恋人をみて上とか下とか序列をつけるのは人として問題外ですし、それを聞いた時には憤慨しましたが、わたしはそれを無視できませんでした。

見栄っ張りなんです。誰がきいても羨ましがる恋愛がしたかった。
本当にわたし、虚栄心だけが肥大していて、自信がないのです。


そういう、身近な他人の心ない言葉、反対に親しいひとの心配、外の雑音。
社会的常識にもとづく助言に心傷つけられることが多かったから、彼とは、2人だけの時間で癒されるしかなかった。2人だけになりたかった。
でも、社会↔︎恋愛とか、そういう対立が生じてしまうと、もう恋って長くないですよね。


段々、付き合いが長くなって彼の存在が希薄になると、社会の声が大きく聞こえるようになってきて、無視なんて出来なくなってきた。常識人って、とっても親切なんですから。
本当にびっくりするほど親身に説得してくれます。

親が自殺してるような男と理解しあえるはずがないよ。
ひずみさんって恵まれてる家庭の子だし。結局そういうところ、相手の生まれとか育ちとかって諦めるしかないから。

心から「わたしの」幸せを願って、そう言ってくれるのです。「わたしと彼の」幸せなんて、興味ないんでしょうね。当然。


内側の彼よりも外側の社会の方に天秤が傾いた。そんな話なのかもしれません。まあ、よくある話。
だからやっぱり、私は人に胸を張れる人と恋愛しないと、「この人がいいんです」って言えない。私は、彼氏が人に胸を張れる素晴らしい彼女でありたいと思っているから。
それに、まだ出会いの絶対数が少なくて、自分の審美眼や価値観に自信がないから、主体的に恋愛をすることができない。早く成長しなければ。

しかしながら、この人無理だな〜って感情が湧くことも当然あるので、自分の中にも譲れない条件があるのだと思います。

今回も複数の人と並行して進めつつ、喜ばしいことに、いちばんいいと思った方とお付き合いできることになって。そういう優先順位のつけかたってあるじゃないですか。時とタイミングによるものも大きいですが。

前途ある恋愛のために、そろそろ自分の価値観を成文化するべきなのかもしれません。



今度の彼氏は、愛された家庭の子だけあって、家族で行った海外旅行のお話をしてくれます。お母様がいかに強い方なのか、面白おかしくお話してくれます。
私より年嵩なのもあってか、私を外に連れ出してくれます。ひそひそ話にむいたうす暗いお店に、静かなカフェに、緑豊かな庭に。

真っ暗な西麻布をあるいて、「私たちもタクシーでここまで来たけれど、タクシーばっかり止まってるのね」「じゃあ僕たちはここから六本木までお散歩しよう」って言って。手を繋いでくれるのです。


ああ、失敗から学ぶ人間でありたいと思うあまり、前の恋愛を相対的に悪いものとしてしまいます。

ごめんなさいね××くん。無欲で優柔不断なあなたのことだから、結局リクルーターの振りまく情に引っ張られて、あの会社に行ったんでしょう。
40代にならないと1000万貰えないんだっけ。最後の別れの時、そうやって質問しました。それを聞いて悲しそうな顔をしたあなたを、今でも可哀想とは思えないのです。

だってあなたはその道を選んだんだから、私の事実確認に傷つく必要も、権利もないのです。
そんなことで揺さぶられる男なんて、私の途には要りません。私は子どものために、良い家庭を築きあげるという野望があります。
その理想を想定した時に、配偶者になるやもしれぬ異性の年収は、重要なファクターになります。

「お金目当てだったの?」その質問に幻滅しました。半分、傷つけるつもりで言ったのは否めませんでしたが。
お金目当てだったら大学生のお前となんか付き合うわけがないだろう。

そういう、今きいた言葉にばかりとらわれて、将来を想定できない様子に苛立ちました。
そういう、私の意見に大仰に傷つき、不安がる、悲しがりなところが大嫌いでした。あまりに相手に鈍感で、私のことを、冷たい人間だと思い込んでいるところが、大嫌い。

そう、私はいつしか、幸せな出来事を彼に報告することすらできなくなっていました。

だってそれは彼の手にはないものだから。幸福に飢え、幸福を羨ましがり、彼自身の手にある不幸に傷つくに決まっている人間と、わたしの手にある幸せを分かち合うことなんて無理なのです。見せびらかしているのだと思われて、傷つけてしまうのだから。


傷つけあうしかないお前と付き合うことより、幸せな家庭を持つことの方が私にとっては重要なの。
私の幸福への道すじに、彼の幸福は重なりませんでした。
優しいが了見の狭い、弱い男。あなたみたいな男は、小花柄を好んで着るような、弱っちい田舎女とせいぜい小さく幸せになればいいのです。
彼がいないと生きていけないような、無力な女と。なま優しくてダサい男にはなま優しくてダサい女がお似合いです。

だからきっと彼は言ったのです。「もっとすごい人に幸せにしてもらってください」と。

私は誰かに幸せにしてもらうつもりはありません。自分たちの手で、自分たちを幸せにするのです。そういう人と幸せになりたいのです。そういう蒙昧な感性も憎々しくて、「少なくともあなたはもう要らない」と言って手を払いました。


ほんとうにわたしは、見栄っ張りなんです、やっぱり。昔より今いる人が、いちばん素敵なんだって思いたいし思われたいのです。そんなの、ボジョレーヌーボーみたいだとは思うけど。
ボジョレーヌーボーなんてくだらないと忌避する男より、ボジョレーヌーボーを飲んで去年と何が違うのかね?他のワインも飲んでみよう、って言いながら笑える人が良いのです。ある程度見栄を理解できる人と付き合わないと、ダメなのです。

それが真の贅沢です。少しの回り道や余分すら楽しめない人間が、私の思い描く幸福を理解できるはずがないのです。


今のところ、私は今の恋人との関係を社会的文脈に置くことができています。
なぜなら私よりも社交的な彼は、私以上に外を知っていますし、私の見た目をいたく気に入っている彼は、私と外を出歩くことを楽しんでいます。
趣味(hobbyというよりtasteやpreferenceの意味ですが)も私の知る限りほぼ被っているので、私はとても楽しむことができています。地雷をなんとなくわかっていると言うのは良いことです。ほんとうに、彼もそうだったらいいのですが。

極端な話、前の彼氏とは外に出るだけで恥ずかしいと思うことがありました。
公的なところならまだしも、私設の美術館でクラシカルな絵を見るのに、(貧乏なのを差し引いても)よれよれのTシャツに半分壊れたサンダルを履いてくる、その感覚が理解できなかったのです。
彼は壊れていない靴だってちゃんと持っていました(全て壊れていたならこんなこと言いません)。そんなコンビニに来るような格好で、初めて行く場所にいくなんて。
「デートするときのお洒落」という発想も、もしかして贅沢品だったのかしら、と私は初めて学びました。そういう贅沢を知っている人としか、同じ方向は向けないんだなあと。

贅沢を知れば、恥も知ることができます。彼からすれば、私が何を恥ずかしがり惨めに感じているかすらもわからなかったのかもしれません。仕方のない話です。誰も教えてくれなかったのだから。ただ、わたしが教えることでもないから、別れただけの話なのです。


彼にテーブルマナーを教えたのも私でした。
学生ながら、教える仕事でわずかながらお金をいただいている私ですが、彼氏にものを教えるというのは中々気が進みませんでした。
彼は「私の生徒」ではないからです。
賢い彼にも賢い彼なりの高いプライドがあるのを、私は理解していました。

それでも、ぎこちない手つきで、フォークとナイフをかちゃかちゃとやる、困った姿を見かねて、教えたのです。
その時、明るく「ほうほう」と話を聞いてくれたら良かったのです、あるいはわからないなりに、マナーなんて話半分に、自信満々に食べ進めてくれれば良かったのです。自分のやり方で。

それで良かったのに、正しいやり方を知った後で、悲しい顔をするのです。さらには謝って来るのです。何に対する謝罪なのでしょう。気分を害したとでも言うのかしら。なら教えなければ良かったのかしら。
好きなお肉が、途端に不味く感じられました。


一つ前の恋は、モラルハラスメントじみた側面のある恋愛だったと自認しています。

前の彼は学歴こそこの上なく良かったのですが、社会的常識、それこそモラルの面において私が優位に立ちすぎていていました。
おかしな話、彼とはまともに喧嘩したこともありません。彼はなんでも私の言うことを聞いたからです。今ごろ彼には、モラルを盾にして自分を責め立てた酷い女として語られているのでしょうか。
彼はいつだって泣きながら謝って、ひずみが正しいと言いました。
それをなぜ不満に思うのだと思う人もいるかもしれませんが、私は元々彼を下に置いてねじ伏せたかったわけではありません。結果的にそういうパワーバランスに疲弊したのです。人として人と睦み合いたかっただけなのに、私は何が悲しくて召使いに命令や指導を繰り返しているのかと問いたかった。
虚しいだけでした。犬を飼いたかったわけではないのです。


今が幸せだと、どうも昔を思い出します。そうやっていると、今の人を抱きしめたくなるのです。感謝を忘れないために、こう言う手立てをとるわたしは、人として正しいのでしょうか。そうでなくともずっと感謝を忘れない人でありたいものです。