Undine

憎んだり愛したり忙しい

11月の海に死にたい

愛はなけなし

愛はなけなし

きっと何人かの人には話したお話だと思うんだけれど、私は、孤独への耐性がまるでない。いや、1人でも孤独を感じないことなんてままあるし、この場合の孤独ってなんなんだろうな。さみしさ?

私にとっての孤独とは、静かなものではないし、ごく淡い水色でも白色でもない。
それは耳を劈く騒音で(聴きたい声が聞こえなくなってしまう)、黒色の粒が飛び交うテレビの砂嵐みたいなもので(探していたものを見失う)、圧倒的な質感と質量でもって私の前に立ちはだかって押さえつけてくる。そんな化け物なのだ。

化け物は、私の頭ごと大きな手でつかみ、地面に押さえつけたり、酷い時では後先考えず、勢いよく叩きつけたりする。
そうしたら私は地に這わざるを得ないし、立ち上がるには、その孤独がひとしきり暴れ、私の前を完全に立ち去るまで耐え忍ぶしかない。
すんでのところ潰れなかった頭を自分で撫でながら、「自分じゃない誰かに撫でられたかったなあ」と落涙。寂しさというのは、穏やかでも密やかでも何でもない。そんなとるにたらない、ごく淡いただの感情とは一線を画す。怒りには似ているかもしれない。さみしさとは、疑いようもなく、暴力のことであり、私自身の存在の危機だった。

寂しさは突然おとずれる。朝食まえ、温かいジャスミンティを淹れているところに。食券と財布をお盆にのせて並んでいるところに。乗客の減りつつある中央線に。独り寝の床のなかに。突然現れた彼は、私の頭を割らんとして、大きな手を振り回して遊ぶのだ。

当然、私は逃げる。つとめて落ち着かせた息を繰り返しながら。まあ、何回も出会っていれば、化け物の腕の振るいかたなんて、覚えてしまうのだ。パターン化されている。無秩序に振るわれるようでいて、そこには必ずルールがある。だから、孤独との戦いとはじっさい、体力・持久力勝負だ。孤独を倒すことなんて、できないししない。化け物がここを去るまで、私はまっすぐ立てていればそれでいい。それは、先の化け物との押し問答で傷を負ったとしても、変わらない。立てていれば、勝ちである。

しかしながら、私のさみしさを倒す方法は、明白にひとつ存在している。のろまなあいつを殺すには、挟み討ちがいちばんいい。だから私は片割れを半身を映し身をもとめる。私の指令通りうごく片割れを。こんなだから、自分の無茶な指令で、片割れを潰してしまうのだ。

片割れをずっと、探している。